その日、私はまたもやトイレを探していた。
限界が近づく中、広い公園を目にした。
「よかった」と思わず口に出した。
自分の経験上、こういう公園には駐車場もあるし、
トイレもある。
コンビニのように、使わせてもらったからといって、
何かを買う必要もない。
貧乏トイレ近い系男子の私には、大変ありがたい存在だ。
自分の推測通り、トイレがあった。
「ありがとうございます。お借りします」
心の中でそう思いながら、いざ入ろうとしたその時、
どっちが男子トイレだかわからない。
男女を表すピクトグラムの表示がない。

「どっちや」
一瞬、いや三瞬くらい立ち止まった。
しかし、尿意は立ち止まってくれない。
「ええい、こっちだ」
半ば投げやりに、右を選び、歩みを進める。
「もし女子トイレで、人がいたらどうしよう」
「不審者だと思われたらどうしよう」
小心者トイレ近い系男子は、こんなことでもお腹が痛くなるのだ。
意を決して、そっと中を覗く。
誰もいない。
小便器がある。
よかった、男子トイレだ。
安堵で括約筋まで緩んでしまわないよう気をつけながら、
無事解放感の世界へといざなわれた。
そしてようやく冷静になり、
「なぜ表示がないのか」と疑問に思い、探してみる。
そしたらあった。
地面にあった。
これは…どうなんだ?

かの昭和の大スター、坂本九は、
「上を向いて歩こう」と日本人に教えてくれた。
中学時代の部活の顧問は、大会に負けた後、
「下向いてたって、金は落ちてねえ」と金言をくれた。
昔の職場の同僚の女性は、しょぼくれて歩いていてぶつかっちゃった時、
「男の子なんだから、胸はって前見て歩けや」とビンタをくれた。
しかし、大切な情報は下にもあるじゃないか。
「足元すくわれる」って言葉もあるくらいだし、
下向くことも大事じゃねえか。
いや、シモの話に限ってはシタにあるのか。
…失礼しました。
何はともあれ、今回の出来事が少し不思議だった。
そこにあると思っていればいるほど、
他のところに目が行かなくなる。
人間の脳は、現実をそのまま見ているようで、
実は「こうであるはず」という予測をもとに世界を補完している。
そのため予想外の場所にある情報には気づきにくくなる。
心理学ではこれを期待バイアスやチェンジ・ブラインドネスというらしい。
これを調べたとき、今読んでいる本のことを思い出した。
『生きがいの見つけ方 生きる手ごたえをつかむ脳科学』(茂木健一郎著)で、
「人間の脳は行動に意味を与えようとするストーリーテラーである」という内容がある。
人間は世界を見ているのではなく、”予測した世界”を生きているのだ。
ということは、今私が見ているこの色のないつまらない世界も、
今までの自分の経験からの予測の世界なのかもしれない。
何かが変われば、世界が変わるかも…?
なんて淡い期待を抱きながら、
今回から、一人称を「自分」から「私」に変えてみました。
エセ自分不器用ですから系男子から、ケンさんのような渋さを目指して。
↓以前にトイレを探した話


コメント