
人間補欠合格。
もし、自分が太宰治に「あなたは人間失格か、それとも人間合格か」と問われたら、きっとこう答える。
もし葉蔵の考えが、
「平気で嘘をつける=人間合格」
「平気で嘘をつけない=人間失格」
ということなら、自分は補欠合格者の欄に名前は載ると思う。
幼い頃から、人間に対して恐怖を抱き、道化を演じることで生きてきた葉蔵。
きっと堀木のように、家では優等生、外では不良と、
自分の仮面を平気で付け替えることへの違和感と向き合い続け、
向き合い過ぎたのだと思う。
そのためなのか、『人間失格』では、対義語について堀木と議論されている。
「罪」の対義語とはなんなのか。
ヨシ子の事件があって、その答えがどんどんわからなくなっていく。
そんな人間の矛盾とも言える疑問に向い合い、
道化を演じて、歪ながらも世間に溶け込も嘔吐していた葉蔵。
その結果が、最後の「私」と「バーのマダム」の評価の対比なのではないか。
精神病棟へ入れたくなる葉蔵、神様みたいないい子も葉蔵。
そして葉蔵自身が出した答えが、人間失格。
それに対して自分の出した答えは、とても平凡なもの。
YESでもNOでもない、「どちらでもない」だ。
アンケートで一番答えやすく、アンケートで一番いのない答え。
それが天才作家太宰治と、底辺モブ人生の自分の違いだろう。
そもそも人類なんて昔は、本能のままに生きていた動物。
それが石を使い火を使い、言語を習得して周りと共存することを覚え、その中で作られていったルールとか考え方とか、共存するために折り合いをつけるものでしかなかったはずだ。
そんなものを規範だのモラルだの世間だのと名前をつけて、これが人間として合格だって囲っているけど、
中身は本能のレベルの違う、バラバラな個と孤の集合体でしかない。
そんなバラバラなものの中に、完璧に対になるものなんて存在しない。
自分にとっては黒の対義語は赤だ。
そして黒に一番合う色も赤だと思っている。
アンビバレントなことで形成されている枠の中に、完璧な対を存在させることが不可能だ。
以上が最底辺モブ人間補欠合格者の最大限の主張である。
それにしても芥川にしても太宰にしても、
なんであんなにモテるんだ…。
↑この表紙気に入ってない……。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。


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