なぜだかこの時期は、非日常感を感じることがある。
先日のお昼頃、制服を着た学生が1人歩いていた。
「こんな時間に歩いているなんて、遅刻したのかな?」なんて思っていたのだが、
手には「卒業証書」と書かれたアルバム状のものを、大事そうに抱えていた。
「そんな時期か」と思いながら、ふと自分の学生時代を思い出す。
私は、普段学校にいる時間に外にいることが好きだった。
卒業式周辺の早帰りの日、在校生との違いに優越感を覚えたり、
もうここには来ないという寂しさや、次のステージへの不安などが入り混じった、複雑な感情だった。
それがフワフワとソワソワの間を行き交うにつれ、不思議な感覚になる。
今この時だけは、学生と学生の間の、何者でもないという不思議な感覚。
なにか特別な自由を与えられた気がしていた。
まるで旅をしているかのような。
その感情に気づいたのは、中学生の頃、初めて遅刻をした日だった。
その頃の私は、自分の感情が宙を彷徨っているようだった。
中3の秋。
母が危篤状態になり、父は仕事と看病で疲労困憊。
姉は大学生で、家には帰らず。
自分は受験と、サッカーのクラブチームの全国大会の忙しさで、訳がわからなくなっていた。
自分では気づかなかったが、きっと疲れが溜まっていたのだろう。
ある日、全く目が覚めなかった。
遠くで鳴る電話の音で気づき、出ると担任の先生からだった。
その日から、毎日起きられなくなった自分の目覚まし時計は、担任からのモーニングコールとなった。
初めて遅刻した日は、「ヤバい、怒られる」と思って走って学校に行った。
自分の目に映る、いつもより速く流れる景色は、どこか白くぼやけていて、まるで幻想のようだった。
今思えば、いつもの登校の朝ではなく、昼の日差しだったからかもしれない。
それ以来、遅刻が続いた自分は、ある意味悟りを開く。
「どうせ急いだって、結局遅刻か」
そう思うと、走らなくなるどころか、遠回りしながら学校へと向かった。
「普通」の学生なら、今学校にいて勉強をしている。
そんな時間に自分は、外を歩いている。
学校や会社といった組織の中では、肩書きを背負った人々が忙しく動き回っている。
なのに、自分のいる通学路には人がいない。
「普通」だった自分の通学路は、空は青々と嫌になるほど爽やかで、太陽は赤々と世界の輪郭をくっきりと照らしていた。
それが、今歩く通学路には、白い空から黄色い太陽の光が降り注ぎ、誰もいない道をぼやけさせるように、うっすらと照らしている。
まるでこの道が幻想なのではないかと思い、ワクワクしてくる。
曲がり角になるたびに、木の枝を倒す。
倒したほうへ進む。
近所なのに、意外と知らない景色がそこには広がる。
ただの通学路なのに、知らない土地を一人旅している気分になる。
「普通」の学生が見ることができない世界を、今自分は見ている。
最近観た映画で、この感覚に近い感情になった作品があった。
『アース・トゥ・エコー』
携帯電話で謎のメッセージを受けた少年たちは、ある日、政府職員に追われる金属製の奇妙な異星人と遭遇する。やがて彼らはその異星人を助けようと、大冒険を繰り広げていく。
『スタンド・バイ・ミー』と『E.T.』を合わせたような作品だった。
少年時代の、世界は不思議で溢れているという好奇心を思い出した。
自分の通学路は、映画のようなスケールではない。
しかし、普段自分が存在しない時間・場所にいること自体が、大冒険をしている気分だった。
その非日常が、たまらなく好きだった。

コメント