知らなくてもいいこと 『或阿呆の一生・侏儒の言葉』 【一人言 読書感想文】

一人言

自分は、過去にお付き合いしていた方に浮気をされたことがある。

その方は留学をしたので一時期、遠距離恋愛だった。

そんなある日、国際電話が自分の携帯にかかってきた。

「留学で価値観が変わった。もっといろんな世界を見て、いろんな人に出会ってみたい。

だから別れてほしい。さようなら。」

何年も付き合ってきた関係を終わらせるのに、

必要な時間は、たったの10秒だった。

それから1ヶ月後、再びその方から電話が。

「もう一度やり直したい。」

自分はまだ未練タラタラだったので、一瞬ビクッとなる。

がしかし、冷静に考えると違和感を感じて仕方がない。

「価値観変わったばかりなのに、もうヨリ戻せるの?」

心からの疑問をぶつけてみる。

すると、なぜか不機嫌になり、その当時のことを刻々と語り出す。

留学先で、同じ日本人とそういう関係になったこと。

留学を終えて、その関係に終止符が打たれたこと。

日本に戻って暇だから、ヨリ戻してもいいかと思ったこと。

…。

いったいなぜ、自分は自動的に2回もフラれているんだ。

そもそも聞いてもいない本当の理由で、倍の殺傷能力で切りつけてくるのはなんなんだ。

本気で命の危険を感じた。

この世の中、知らない方が幸せなことが存在する。

それは、自分自身に対してもだと思う。

話が急カーブで本の感想へと進入するが、

芥川龍之介の、遺稿の数々を読んでそう思った。

この本を読んで、芥川の死に対する憧れのようなものを感じた。

それは、「自分には才能がない」という想いからなのかもしれない。

しかし、才能がない人間が、死への考え方を美しいと思わせるような表現ができるだろうか。

少なくとも自分は、芥川の死に対する考えに、そのような感情を抱いてしまった。

同時に大変危険だとも思った。

憧れなんか抱いてしまってはいけない。

カリスマ性を持った人が、自ら最後を選んだ際、

あとを追う人が出てしまう。

それだけ、人を惹きつける才能がある。

このような、カリスマ性を持ち、繊細で、人の心がよくわかり、

自分の感情と愚直に向き合う表現者には、

本来見えなくてもいいものまで、見えてしまうのではないか。

自分が感じる一つひとつの感情と、納得するまで向き合い、

それを丁寧に、芸術へと昇華していく作業。

それに心打たれた群衆に、期待されるプレッシャー。

きっと「この苦労、お前たちにはわかるまい」と言いたいのではないか。

天才たちが見てる世界は、自分には想像もできない。

自分の精神が不安定な世界を、歯車で表す発想なんか持ち合わせていない。

そんな芥川龍之介の、知的な世界観に触れられた事を幸せだと思うしかない。

凡人の自分には、そう思うしかないのだ。

それは、その才能への尊敬や羨ましさの他ない。

そして、自分は芥川龍之介に対して100%の憧れを抱かない。

なぜなら、芥川龍之介はモテたから。

作品に、何人もの女性が登場した芥川龍之介へ、

1人から2回フラれて、死にたくなった自分から言いたいことがある。

「この苦労、お前にはわかるまい」

P.S 

この言葉には力をもらった。

この言葉こそ、また、芥川龍之介本人へ言い聞かせて欲しかった。

(一人になる)芥川龍之介!芥川龍之介、お前の根をしっかりとおろせ。お前は風に吹かれている葦だ。空模様はいつ何時変るかも知れない。ただしっかり踏んばっていろ。それはお前自身のためだ。同時にまたお前の子供たちのためだ。うぬ惚れるな。同時に卑屈にもなるな。これからお前はやり直すのだ。

闇中問答/芥川龍之介

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